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桑名がちょっとクワしくナる♪ ~③ 九華公園 編 その2~

みなさまこんにちは!
フナツヤレストラン担当の平野です!

新年あけて少し落ち着いたかと思えばインフルエンザの猛威です。。。
手洗いうがいやマスク着用。
こまめなケアをするだけでも違うので、みなさま御身体にはお気を付けくださいませ。

さて、この企画も第3弾!
先日お伝えさせていただいた九華公園にもう少しスポットライトを当ててみたいと思います!


■本多忠勝像
市内の矢田八幡社に伝わる陣中で指揮をとる本多忠勝画像を元に、1990年(平成2年)に中川梵鐘の6代目中川正知さんが彫塑化して制作した銅像。どんと腰をおろしたその姿は、当時の面影をそのままに感じさせます。

■桑名初代藩主“本多忠勝”
徳川家康を大将とする「東軍」と、石田三成を中心とする反徳川勢力の「西軍」とが行なった合戦、関ヶ原の戦いの終わった翌年の1601年(慶長6年)、徳川家康は徳川四天王の一人、本多忠勝を桑名に配置しました。忠勝は桑名に入ると、すぐに城下の町づくりを始めました。忠勝は戦国時代に伊藤武左衛門によって築かれた“東城”と呼ばれる城館を拡大整備して本格的な城を築きました。それに伴い城下町の整備も進め、大山田川、町屋川の流れを変えて外堀に利用し、町の守りとしました。これら忠勝の行ったまちづくりを「慶長の町割り」と呼びます。


■辰巳櫓跡の大砲
辰巳櫓=タツミヤグラと読みます。なぜ、こんなところに大砲が?と思われる方も多いと思います。
理由は諸説ありますが、明治時代お昼を知らせるために空砲が鳴らされていたといわれています。
この大砲が置かれているところには、かつて単独の三層櫓であった辰巳櫓がありました。
江戸時代中期に天守が焼失してからは、辰巳櫓は桑名城の天守的存在であったため、戊辰戦争で桑名場が新政府軍に引き渡されるとき降伏の印として焼かれ、いまの大砲だけが残っています。

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